2012年4月29日日曜日

「この戦争には負ける」

「この戦争には負ける」--とは、ここでの、どこかのサイトに書いた記憶もあるのですが。

 それはそれとして、昭和16年12月8日、その日に「大東亜戦争」(当時の呼び名は、これに統一されていました。)が勃発し、以後、国中が大騒ぎになってしまいました。

 それからと云うものは、毎日のように海軍やら陸軍の軍歌が、まわり中に溢れましたよ〜。
 それと同時に、素晴らしい戦果の数々も飛び込んで来ましたなあ〜。

 なにせ、半年も経たないうちに、大日本帝国の日章旗は大平洋の大半の島々で はためいたわけでしたからね。
 その当時の私は尋常小学校の2年生でした。

 ただね、それらの、 勝った!〜勝った!〜叫ぶ連中を見渡して、近所に居た一人の古老だけが全く違った表情をして、誰に云うともなく「この戦争には負ける」と、時折そう呟いていたのですよ。

 当然ながら、その古老の呟きは、見向きもされず一蹴され、その後 彼の姿は消え失せてしまったのですが、思えば、なんとはなしに「この戦争には負ける」との御託宣が、後になって利いて来たのか、その言葉への同調者も増えて来たのでした〜。
 勿論、表面的にはモノ云わぬ同調者達でしたが。

 但し、利いて来たとは云っても、大戦果の数は減らずに増える一方っだったので、何というのか、バランス感覚とでも云うべきなのか、勝利の陰に これからの敗北が始まる、と、全く違った二つの立場でモノを考えるようになって来たのか--------そんな感じだったようですね。

 開戦から二年後、その時の私共の「尋常小学校」は「国民学校」の呼称に変えられてしまい、結局のところ、この戦争は、私はその「国民学校」の 六年生の時に敗戦を迎える事で決着したのでした。

 ---------と云っても、その事から古老の言葉を云々する、と短絡的に云う事ではなくして、人間誰しも、いろんな出来事に対するとなった場合は、“ 人間とは絶妙なバランス感覚で物事を推し量るように出来ているのだ〜 ” と云う事だ、と そう考えるようになって来たのでしたよ-----。

 勿論、そうであるからこそ、短絡的結論かも知れませんが〜〜敗戦の結果を招いても、懸念されたような国家的騒動は避けて通る事だ出来たのだと思う次第なのですが?〜---------。

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