その間の児童の服装の移り変わりです。
これは、私共山形市民のみならず全国的にも同じようなものだったでしょう。
右端の生徒 6年生。終戦は私共が6年生の時だったものでして〜。
ここの6年生のみだけですが 載せた文言が以下です。
←防空ズキン(母親の花嫁衣装などで作った変なガラのが多かった)。
←上着はアサ袋みたいなものしかない。
←カバン(単なる袋)
弁当はわけのわからぬもの。
←端ギレは スフ。
←中にはホータイ、三角布、マーキロなど。
通学には必携のもの。
←親ゆずりのドタ靴のようなもの。
昭和20年春すぎの頃。
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