昔々は、さすがに現代風の「メル友」 なる用語はありませんでしたが、その代わり「ペンフレンド」がありました(ペンパル とかの用語もあったような気がしますね-------それらは今でもあるのかな)。
いろんな雑誌の最後のページあたりに 愛読者の欄があって、一行広告よろしくコメントと共に、それらの住所氏名が細かい文字でギッシリ埋まっていましたね。
その中から適当な相手を選んで、葉書や手紙で交信を交わしていたものでした。
あの当時は、他人の名簿を無断で利用する悪党?もいなかったのでしょう。
私もその中から適当に選んで何人かと交信を続けていましたよ。
実は、後年、東京での生活に慣れた頃、山形時代に知り合った そのペンフレンドの某君を 練馬区のナントカ町に訪ねた事がありましたね。
その名が載っていたのは、子供向けの月刊科学雑誌「動く実験室」でした-------それも覚えています。
その場所に辿り着いて、 うろうろしていると近所の小母さんが出て来たので、理由を話したところ、その家は 昔 確かにここにあったが、ある日の事火事になって消失して以来行方は分からなくなっているとの事でした。
そのうち小母さん達の数が増えて、4〜5人になったか、まあ〜まあ〜お盆にお茶まで持って来てくれて------- “ さぞや会いたかったのでしょうね ” ---------とかなんとか、騒ぎになってしまいましたよ。
練馬となると、東京都内でありながら、確かに、その風土は どこか田舎?に通じる雰囲気がありますね。思わぬもてなしに たじたじになって、 さすが厚顔の私も茫然自失の有様を呈して、出されたお茶を立ったまま 有り難く頂戴して、帰って来た次第でした。
※ この件での詳細は、いつぞや どっかのページに入れた筈なのですが容量が膨大になり過ぎてか?探しても見当たりません。カットしたのかどうか、それも忘れました。
※ 載せた写真は、往年の「練馬大根畑(検索から)」、勿論、私が訪ねた時は現代の大都会の住宅街でした。
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