2011年5月20日金曜日

「水兵の母」

 
二 水兵の母 初等科国語 5年生 昭和19年度 
明治二十七八年戰役の時であつた。ある日、わが軍艦高千穗(たかちほ)の
一水兵が、手紙を讀みながら泣いてゐた。ふと、通りかかつたある大尉が
これを見て、餘りにめめしいふるまひと思つて、
「こら、どうした。命が惜しくなつたか。妻子がこひしくなつたか。軍人
 となつて、軍に出たのを男子の面目とも思はず、そのありさまは何事
 だ。兵士の恥は艦の恥、艦の恥は帝國の恥だぞ。」
と、ことばするどくしかつた。  
 水兵は驚いて立ちあがりしばらく大尉の顔を見つめてゐたが、
「それは餘りなおことばです。私には、妻も子もありません。私も、日本
 男子です。何で命を惜しみませう。どうぞ、これをごらんください。」
といって、その手紙をさし出した。 
 大尉がそれを取つて見ると、次のやうなことが書いてあつた。
「聞けば、そなたは豊島(ほうたう)沖の海戰にも出でず、八月十日の威海衛
(ゐかいゑい)攻撃とやらにも、かくべつの働きなかりし由、母はいかにも
 殘念に思ひ候。何のために軍には出で候ぞ。
一命を捨てて、君の御恩に
 報ゆるために
は候はずや。村の方々は、朝に夕に、いろいろとやさしく
 お世話なしくだされ、一人の子が、御國のため軍に出でしことなれば、
 定めて不自由なることもあらん。何にてもゑんりよなくいへと、しんせ
 つに仰せくだされ候。母は、その方々の顔を見るごとに、そなたのふが
 ひなきことが思ひ出されて、この胸は張りさくるばかりにて候。八幡(は
ちまん)樣に日參致し候も、そなたが、あつぱれなるてがらを立て候やう
 との心願に候。母も人間なれば、わが子にくしとはつゆ思ひ申さず。い
 かばかりの思ひにて、この手紙をしたためしか、よくよくお察しくださ
 れたく候。」 
  大尉は、これを讀んで思はず涙を落し、水兵の手をにぎつて、
「わたしが惡かつた。おかあさんの心は、感心のほかはない。おまへの殘
 念がるのも、もつともだ。しかし、今の戰爭は昔と違つて、一人で進ん
 で功を立てるやうなことはできない。將校も兵士も、皆一つになつて働
 かなければならない。すべて上官の命令を守つて、自分の職務にを出
 すのが第一だ。おかあさんは、一命を捨てて君恩に報いよといつてゐら
 れるが、まだその折に出あはないのだ。豊島沖の海戰に出なかつたこと
 は、艦中一同殘念に思つてゐる。しかし、これも仕方がない。そのうち
 に、はなばなしい戰爭もあるだらう。その時には、おたがひにめざまし
 い働きをして、わが高千穗の名をあげよう。このわけをよくおかあさん
 にいつてあげて、安心なさるやうにするがよい。」
といひ聞かせた。
 水兵は、頭をさげて聞いてゐたが、やがて手をあげて敬禮し、につこりと笑つて立ち去つた。
---------------- 
この教科書で教育を受けた当時の子供はどのような人生観を持って成長したのだろうか。

 百姓のセガレとして育った知り合いの古老に尋ねた事がありました。

 「軍隊に入るのは何といっても嬉しい事でした。その理由は、まず、タンボの仕事から解放される事。タンボの仕事そのものが苦しいからという事ではありません。もっと別の理由、例えば、天候によっていろいろと対応策を考えたり、庄屋さんに出す年貢の事を考えたり、貧乏に明け暮れする生活に嫌気がさしたり、家族への配慮をどうするか、村の連中とどうやってうまくやっていくか・・・etc。それらに対する気苦労が毎日毎日大変な重荷になっていたのです。

 それが、軍隊に行けば、とにかく何も考えずに唯上官の命令に服していれば済むのでこれ程楽な事はないし、体力にも自信があったので、訓練なども全く気にならずにやれたし、それに加えてメシが腹一杯に食えるので何程嬉しかったことか、軍隊生活はまさに極楽の世界でした。

 ただ、軍隊生活もいつか除隊になって再び百姓生活に戻るのだとなれば、いっその事この儘天皇陛下のために命を投げ出して、家には「名誉」と「功労金」を残せばその方が良いのではないか、と何度となく考えたものでした。

 出来たら国民みんなが兵隊になって国を護るようになれば、その方がずっと良くなります。「国民皆兵」となったら子供や年寄りなどみんなが腹一杯メシを食えるようになる筈です。その方がずっとマシです。」

 軍隊生活は地獄であって、天皇の名のもとに戦争で死ぬなんて真っ平だ、と、これが国民一般の普通の気持ちだったと思うのですが、日本国民すべてがそうだったかと云えば決してそうではありませんでした。天皇陛下のために喜んで命を投げ出そうとしていた国民も相当数いた事も又事実なのです。古老の考え方は教科書通りの忠誠心とは違っていても、その延長線上の考え方として許されていた範囲の気持ちであったと思われます。少なくともそのような発言を許す土台として教科書は立派な役割を果たしていたと云ってよいのです。

 岩に向かって砕け散る波しぶきの豪快な光景があって、そのそばに爛漫に咲き匂う桜の樹が立ち、彼方には霊峰富士の山が聳える、そんな写真が新聞に載るようになると、何故か、日本国民は思考を停止してしまって、理由がないまま死に突っ走るのだ、と評した外人がいました。情景は違っても、バンザイ突撃(玉砕)などが可能になるのもその一つの表れだと云います。特に桜の木は日本人の気持ちの深層に常に死をイメ-ジさせているとか、云われてみれば、確かに、桜の木は人間の血を吸って育つのだとか、各地によくある血染めの桜の例とか、切腹は大抵桜の木の下でやられるとか、仇討ちも桜の周りが多いとか、そうなると花の散り際の鮮やかさは死を覚悟した者に決断を促す役目を果たすのも理解出来るし、そのせいもあるのか、桜の木を豊富に植えてあるお寺は縁起が悪いという事で余り見かけたことはないし、確かにそんな桜の姿が大量に世の中に現れてくるとなると気味が悪いという理屈も頷けます。日本の国の花は「桜」でなくて「菊」の花だという理由も分かります。

 さても現在、未曾有の不況の時代にあって、この儘の状況が長く続くようになると、なにやら妙な風が吹いてきて、これ又、妙な展開になり思いもかけなかった状況が現れてくるのではないかと危惧します。教科書も桜の木も、思考を停止した古老の生きザマにも、何か共通した洗脳のニオイがありました。

 解決は一つ、各個人が思考を停止させてはダメだという事。これがここでの結論だという事です。

-----------------------------

 これは、以前に入れた文面ですが、もう一度アップした次第でした。 

0 件のコメント:

コメントを投稿