2011年5月20日金曜日

木口小平

 
 
 キグチコヘイハ テキノ タマニ
 アタリマシタガ、 シンデモ ラッパヲ
 クチカラ ハナシマセンデシタ
死しても尚ラッパを口から離さなかったラッパ手の噂話は、早くに内地に伝えられた。その喇叭手は誰かということが話題となり、軍は調査の結果その喇叭手は実在し、名は「白神源次郎」であると発表した。岡山県浅口郡船穂村(後の倉敷市)出身の歩兵一等卒・白神源次郎の武勇は国民に広く伝えられ、また海外にも発信された。教科書にも採用され7年後に名前を変えられるまで使われた。
 日清戦争後に不都合が明らかになり第5師団司令部は「諸調査ノ結果彼ノ喇叭手ハ白神ニ非ズシテ木口小平ナルコト判明セリ」と発表しなおした。白神は入営当時21連隊の喇叭手であったが予備役召集の時点ではラッパ手ではなかった。木口はラッパ手であり白神と同日の戦死であった。師団発表当時はまったく無名の木口に名前が置き換わったことに国民の間に驚きもあったし、すでに有名になっていた白神源次郎の名前はなかなか改まらなかった。
 wikipediaより。
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 これは勿論 教わりましたが、子供なりに立派な兵士だったとは思った反面、死んでしまったならばラッパは吹けないわけだし、意味がないとも思っていました。
 まあ〜それ以上となると、たかが子供でしたから先生にいろいろと説明を受けても、あまり感動とか、そんな気持ちには至りませんでしたね。

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