玉砕とはあくまで状態の追認であり、正式な玉砕命令というものは存在しなかった。実際には撤退困難と判断した参謀本部や軍令部が現場の兵士を部分救出すらせず放棄し、兵士の投降をも許可しなかったので、戦地に残された部隊は全滅した。
しかし、敗北、全滅などという表現を用いることは大本営指導部には耐えられるものではなく、全員死亡の事実を報道の際に美化するために用いた軍事宣伝用語であると考えられる。
米軍が写したと思われる写真は多数残されているのですが、いずれもが同じ状況下にあるので、どの写真が どこの玉砕を写したのか、いろいろやっているうちに判らなくなってしまいました。
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