2012年4月22日日曜日

山中鹿之介

  戦前の「講談社の絵本」から

 
 我々が教わった、当時の「国語教科書」の挿絵。

 永禄9年(1566)、尼子家は毛利元就によって滅ぼされた。
 その遺臣の山中鹿之助は、その後も毛利に戦いを挑み続け、主家再興の為に「願わくば我に七難八苦を与え給え」と、三日月を仰いで祈った。

 尼子再興を夢見て奮戦した山中鹿之助も、天正6年(1578)、ついに壮絶な生涯を迎えた。

 この山中鹿之助の姿は軍国時代の日本の象徴となっていた。

  -----------------------------------------------------------------

 この人物に限らないのですが、自叙伝、自伝、等を書かなかった人物については、それにも拘らず、後年、多くの逸話説話が残されているのを
知るのですが、その場合の、それ等の中身の信憑性は何をもって決めるのか、難しい判断が要求される筈ですよね。

「願わくば我に七難八苦を与え給え」この言葉も有名ですが、これは本人が残したのか、それとも後年 周囲の者が創作したのか、判っていない
のではありませんか?。

 つまり、いかなる場合であれ、本当の事実が後世に残る筈もなく、加えて、いかなる場合であれ、正しい人物評価が後世に残る筈もないのです。

 後世の者が創り上げるもの、それが有名人の偉人像になる、つまり、 “ 講釈師、見て来たようなウソをつき ”------これがホントでしょうね。

 それを承知のうえ偉人伝を眺めてみる、と、この姿勢を忘れずに-------と云ったところでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿