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旧日本の軍隊での、上官の兵士に対する扱いはどうだったか----それは、まるで地獄の様相を呈していたとの事。殴る、蹴る、は当たり前。とにかく、理由もない凄まじい「しごき」が日常的に続けられてきたようです。
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演習の時、一人の兵士がふとした事で薬莢(やっきょう)一個を見失ったがために、一晩中探し続けて、それでも探し出す事が出来ず首を吊って死に果てた----そんなハナシなどいくらでもあったのです。どんな記録を見ても、それに似た事例はいくらでも探す事が出来ます。とにかく凄惨な世界だったのでしょうね。
-----ここまではよいとして、そんな軍隊の実態を否定はしないとして、それが軍隊のすべてを含めた本当の姿であったかと言うと少し違っている面もあったのではないか---というのが今回の小論調の骨子です。
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東北の貧しい農家の息子が兵隊になって、感じる第一歩は、上記のようなひどい世界だという認識と同時に、結構ここでなんとかやっていける、との安堵感があったと言います。
結論を先に言えば、ここでは何も考えなくても、とにかく腹一杯メシが食える、という絶対的な安堵感があった・・・・と、これだったでしょうね。
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日常的にいくら殴られても蹴られても、別にそれがためにプライドに傷がつく事はなかったでしょうね。もとよりプライドなど無い生活を送ってきたわけですから、痛いのを我慢すれば別に何とも感じないで済んだ筈。演習の辛さは、強靱な肉体が補ってくれ、歩くのも走るのも重武装で山に登るのもとにかく常にクリアー ・・・大袈裟に申せば、むしろ得意顔だったかも知れません。
難しい兵器の操作方法はさすがにこたえたと思いますが、バカになって繰り返し繰り返しやれば、これも何とか合格出来た範囲。
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やがて、仮に 前線に出されて、もし死ぬ運命に遭遇したとしても、天皇陛下のためとあれば名誉な事だし、それによって我が身が消えても郷里の親達には十分な保障が為されカネも入るし、更に「恩給」もつきます。第一、村全体が 男の死を悼んで盛大に葬儀をして祀ってくれる筈です。なにせ「名誉の戦死」つまり男はその日から国を護った「神」になるのですから・・・。
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とにかく、家族に対する国家の保障は十分でした。男は大威張りで死ねるのです。こんなに恵まれた人生が送れて、誇りに思う事はあっても嘆き悲しむ事は何もありませんでした。
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これで、もし、病気になって除隊でもして村に戻ったらどうなるか・・・・・まず、明日のメシをどうするのか、もし、天候が不順で作物に影響が出たらどうするか、----その時は只では済まされません。
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加えて、凶作になったらどうするか、年貢が納められなくなったらどうするか、親の病気は誰が治してくれるのか、家族はどうなるのか、そして自分の将来はどうなるのか・・・・・等々、無数の問題点が沸き上がってきて考えただけで暗胆たる気持ちに陥ってしまうのでした。然し、いくら困難な問題点が発生しても、その解決のためには、それなりに対応策を一生懸命考えなくてはなりません。然し、考えてどうなるのか。自分が死んでしまったら単なる「のたれ死に」で、誰も悲しみもせず、大きな穴を掘って棄てられてオシマイでしょう。
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そしてどうなうか?...。
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軍隊に居る限り、何も考える必要はありませんでした。上官の命令にただただ従っていればそれで全部が済みます。繰り返して申し上げますが、何も考えないで他人が決めてくれた枠の中でのみ生きる人生が一番素晴らしい人生なのです。軍隊で生きる枠を否定したら男の人生は消滅してしまうのです。郷里の、村のため、両親達のため、子供達のため、そのために男は軍隊で頑張りたいと思っているのです。そしてそれが男には何よりも幸福な人生だと思えるのでした。
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-------いかがでしょうか。日本の軍隊は、自発的に軍隊の存在を肯定する多数の兵士によって強固に支えられてきたのです。組織に従属する事によって、始めて生き甲斐を感じる多数の兵士が現実に存在していたのですよ。
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彼等が最も恐れたのは組織の従属から解きほぐされて自由の身になる事でした。自分のアタマで何をどう「自由な人生の選択」をしていいのか、それを考える事は、彼等には、それは肉体を苛まれる以上の「死」以上の苦痛でしかありませんでした。
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彼等にとって「死刑」よりも「自由の刑に処する」この言葉の方が重かったのです。
※ 因みにこの「自由の刑に処する」という言葉はサルトルの言葉です。内身は違っていても言葉のネライは兵士の例えと全く同じ内容です。
※ 現在での、都市と農村の姿は、戦前とは全く違っている事を、改めて お忘れなく・・・・。
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