戦争当時の私の兄(18歳)
予科練での正装姿
これぞ、“ すめらみくにのもののふ” の姿ぞよ〜。
終戦と同時に、鹿児島県鹿屋市の特攻基地から帰って来ましたが------。
すめらみくに(天皇の統治する国、日本の事。)
すめらみこと(皇尊/天皇)
すめらみくにのもののふ(日本の武士)
私どもが小学校で教わった天皇軍人等に、これらの言葉が付加された例は多数ありましたね。
ただ「すめら〜云々」の言葉そのものには、重厚感もなく、何やら ねばねばした薄っぺらい感触を抱いて使用していましたよ。
これって、そもそもが、どっか古代の外国語ではなかったのでしょうか〜。
以下〜
明治16年(1883年)3月28日『小学唱歌集 第二編』
皇御国 加藤司書 里見義
一 皇(すめら)御国(みくに)の、武士(もののふ)は、
いかなる事をか、つとむべき。
ただ身に持てる、真心(まごころ)を、
君と親とに、尽(つく)すまで。※ ここでの 君 は天皇陛下を指す。
二 皇御国の、男子(おのこ)らは、
たわまず 折れぬ、心もて。
世の生業(なりわい)を、つとめなし、
くにと民とを、富(と)ますべし。
.
註;※ 大東亜戦争時代に歌われた歌で、教科書にも載りました〜。
詩吟調のメロデイが加えられていましたね。
. ※兄の場合は特攻として待機していながら、乗るべきヒコーキが無かったとの事。
0 件のコメント:
コメントを投稿