2011年5月10日火曜日

シニシズム

 
 シニシズム(死に沈む)とは、ヘレニズム期の古代ギリシアにおいて展開された哲学の一つ。キュニコス派、キニク学派、犬儒学派とも。人間社会などという下らないもののことばかりしか考えない、馬鹿で愚かな下等人類を嘲笑い、本来あるべき無為自然の中で人間としての正しい生き方をすることを最大の目的とする。
 [編集]概要
 人間とて自然の一部品でしかないというのは誰しも共通の認識であるところだが、実際問題としてその真理に従って行動している人間はおらず、大半は自然を冒涜し、人工物たる文明の利器に頼って生きているのが実情である。シニシズムは、そのような人類という腐った生物の一般的な考え方とは少々乖離した思想であり、『無為自然』の真理をこそ最上にして最高のものという、当然といえば当然、当たり前の真実をこそ求める思想である。
 シニシズムにおいては、人間社会は価値がないものと見なされている。弱小な生物である人間が寄り集まってコミュニティを作っているだけであればまだマシだが、社会と呼べるほどに群れると人間は自然を無視し始めることを歴史は証明している。すなわち、木々を切り倒し広場を作る、石を削って形を変える、またそれらを繰り返すことで集落を作るという自然破壊の繰り返しである。しかも人間は極め付けに愚かな生物であるため、それらの行為が自然への冒涜であると一部の有識者が言っても気付かないか、耳を貸す事すらしないのである。こうして人間は自然を冒涜し続ける。すなわち『人間は群れるとロクな事をしない』のである。
 また、人間が良く語る馬鹿げた概念に、『神』とかいう『世界の創造主』とやらがあるが、そのほとんどは『人間』ばかりを対象としたものであり、ここにも『人間は優れた動物だ』という歪んだ思い上がりを見る事ができる。百歩譲って『創造主』とやらがいるとしても、ただの哺乳動物の分際でしかない人間という狂った生物だけを対象として活動する道理がないのである。そもそもそれ以前に、人間以外の構成員を含まない『人間社会』という独りよがりなコミュニティで、『宇宙』だの『創造主』だのといった超世界的な事象を語るというその行為こそが最大の思い上がり、馬鹿げた暴挙と言えるだろう。
 [編集]正しく生きる為に
• 君がこうしてこのページを見るために用いているPC端末、或いは携帯端末はその存在そのものが自然への冒涜であり、そのような物体は今すぐにもバラバラにして正しく自然に帰してやるべきである。
• 君がいるその部屋にある全ての人工物を破壊せよ。前にも述べた通り、人工物は存在そのものからして自然への冒涜である。
• 君が暮らしているであろう建築物は存在そのものが自然への冒涜である。今すぐ火をかけて自然に帰すべきである。
• 君が着ているであろう衣類も工場で作られたものに相違あるまい。すぐに燃やして自然に帰すべきである。
• これで君が正しい生き方をする下地は整った。後は山へ篭るなり無人島に渡るなりして、無為自然の境地に至ればよろしい。

 アンサイクロペデイアより
 上記は一つの逆説として お読み下されたく(斉藤)--------- 。

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