2011年5月16日月曜日

帝銀事件

 

  
   
  
 裁判は、まだ続行する外ないようですね。解決していないのですから。
 帝銀事件 63年前ですよ!!!。私が中学生の頃です!。
 写真は当時の現場と容疑者平沢貞通

 ただ、容疑者はもうとっくに亡くなっています ----------驚いたなあ〜〜。
 帝銀事件(ていぎんじけん)とは、1948年(昭和23年)1月26日東京都豊島区帝国銀行(後の三井銀行。現在の三井住友銀行椎名町支店で発生した毒物殺人事件。
 戦後の混乱期、GHQの占領下で起きた事件であり、未だに多くの謎が解明されていない。

 平沢 貞通(ひらさわ さだみち、1892年明治25年)2月18日 - 1987年昭和62年)5月10日)は、日本テンペラ画家北海道出身(東京府生まれ)。雅号大暲(たいしょう)。

 死刑確定後 [編集]
 事件の状況からして平沢の犯行とするには無理がある上[要出典]、供述の信憑性に問題(平塚八兵衛の取り調べが拷問に近かったこと、また証拠とされた供述自体が、狂犬病予防接種の副作用によるコルサコフ症候群の後遺症としての精神疾患(虚言症)によるものと思われた)があったため、また死刑判決の決め手となった自白調書3通が、実は白紙に取調べには関与していない出射義夫検事によって平沢の指紋を捺させたものであった事が、大村徳三博士によって鑑定された事などから、冤罪であるとして17回の再審請求と3回の恩赦願を出すも受け入れられず、代々の法務大臣も死刑執行命令にサインしなかった。
 1968年に再審特例法案が提出されて廃案になった後の1969年に法務大臣が7人の死刑囚への個別恩赦の検討を表明した際には平沢も対象となった(平沢の恩赦はされず)。1987年5月10日、平沢は肺炎を患い八王子医療刑務所で病死。享年95。死刑執行されることはなかった。
 平沢の死後も養子と支援者が名誉回復の為の再審請求を続けている(2008年現在、東京高裁に第19次再審請求中)。
 
 参考迄、私のHPですが、ここをご覧下さい http://heirinzi.blogspot.com/2010/07/blog-post_01.html 

0 件のコメント:

コメントを投稿