2011年5月14日土曜日

山下清

 
 

 山下清
 東京府東京市浅草区田中町(現・東京都台東区日本堤)に、大橋清治・ふじの長男として生まれる[1]
「日本のゴッホ[7][8]、「裸の大将」と呼ばれた。1956年の東京大丸の「山下清展」を始め、全国巡回展が約130回開かれ、観客は500万人を超えた。大丸の展覧会には当時の皇太子も訪れた。1961年6月、式場隆三郎らとともに約40日間のヨーロッパ旅行に出発。各地の名所を絵に残した。
 晩年には、東京都練馬区谷原に住み、『東海道五十三次』の制作を志して、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛けた。およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺している。ただし、高血圧による眼底出血に見舞われ、その完成は危ぶまれていた。1971年7月12日脳出血のため49歳の若さで死去。(以上、検索より)
 --------------------- 彼には彼なりの才能があって、それは常人には真似の出来ない素晴らしい才能でしたね。
 載せた絵をご覧なさいな。何ものにも邪魔されない透き通るような絵ではありませんか。

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