昔の山形市、我が家の近くに病院があって、長らく「エイジュ病院」と呼ばれていましたね。山形連隊のすぐ前でした。
戦後は、何かと云えば駆け込んだ病院でした。
現在は、載せた写真がそうで「山形県立中央病院」とのこと。
但し、場所は全く違った場所に移転していましたね。
戦前の「衛戍病院」と名がつく病院は全国的に存在したと思いますよ。
山形県立中央病院
• 1897年(明治30年)、陸軍歩兵第32連隊が山形城址へ駐屯するに当たり、同所に開院した山形衛戍病院を始まりとする。
• 理念は、「県民の健康と生命を支える安心と信頼の医療」。
• 現在の場所には2001年5月1日に移転した。
載せた写真がそれとの事ですが、これでは昔と随分違っています。その当時は木造二階で、各病室は他と同様 よれよれの畳の部屋でした。
戦時中、何度か入った記憶が残っています。多分、誰か知り合いの兵隊がいて家人と共に見舞いにでも行ったのでしょうか。
えいじゅ‐びょういん〔ヱイジユビヤウヰン〕【衛×戍病院】
旧日本陸軍の衛戍地に設置された病院。
陸軍病院の旧称。
衛戍とは軍隊が一つの土地に長く駐屯して警備・防衛の任に当たること。
○明治30年8月
陸軍歩兵第32連隊山形城址に駐屯、山形衛戌病院を同所に開院
○明治32年10月
山形城跡第二敦内(旧県立中央病院地)に新営
○昭和11年11月
山形陸軍病院と名称改正
○昭和20年12月
国立山形病院として発足
○昭和28年4月
山形県立山形病院として開院
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