当時の我が家は山形 霞ケ城趾 の近くだったので、そこの濠を写した写真です。カメラは多分借り物だった筈。
写真は、ご覧のように小銭と比較して判る通り、35ミリの密着です。引き延ばしするだけのカネもなかったのでしょう。
(これと同じサイズの、残されたままの写真は結構多い)。
これを見て、さすがに、当時の雰囲気がありありと目に浮かびましたよ。
ここの城趾は、長年、山形聯隊として軍事用に利用されていたので、我々は絶対に立ち入る事の出来ない場所でしたが、終戦と同時に、開放されたとは云え、すぐ進駐軍の接収により、立ち入り禁止の状態は、その後も長く続きましたよ。
とは云え、兵舎等を除いた 外郭部や その他の殆んどの場所は、まあ〜完全に放置されたので、外部から眺める限り、まるで、ジャングルの如く荒れ放題になってしまっていましたね。
これは別途検索からお借りした現在の姿(但し、同一場所からの写真ではありませんが)。
確か現在は「霞城(かじょう)公園」として広く市民に利用されている筈ですね〜〜キレイになっていますなあ〜!。
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