日本には、飛行機のエンジンを空気で冷やして飛ぶ「空冷式エンジン」が大半を占めたのですが、敵米英には「液冷式」との、水で冷やす式の方が多かった感じでしたね。性能的には「液冷」の方が優れていたのですが、構造が複雑になって設計的には日本では困難が多かったのでしょう。
載せたのが、終戦近くになって、やっとこさ出て来た その代表格の液冷式の「飛燕」でした。
液冷式となると、機首が 尖ってスマートなスタイルにもなれたのですよ。
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以上、ここ迄は前にも載せた文面からです。
以下は、それについての追加です。
しかしながら、案の定--------とでも申すのか、その構造の複雑さのために生産が続かず、やむを得ず、エンジンのみを空冷式のに取り替えた空冷式「飛燕」が出る始末でした。載せたのが、それです。
勿論、それを知ったのは戦後でしたが、せっかくの液冷式を空冷式に取り替えて飛んだのでは、何のための液冷だったのかと、子供ながら大憤慨?をしたものでしたネ〜。
---------大日本帝国の、工業力の実態は、そのへんが限界だったのでしょうなあ〜。
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