2011年7月9日土曜日

今度の戦争は負ける

 
 
 戦争が始まった頃、周囲の大人達の中には、今度の戦争では日本が負ける-------と、そう主張する大人が結構多かったような気がしますね。必勝の信念で立ち向かおうとしている我等少国民にとっては、それら大人の発言は無責任の極みだ、とも思って噛み付いた事も何度か あったような気もしますね。

 ただ、今になって思うに、日本人ならでのバランス感覚であった、と申すべきか、その時の、それらの者達の言い分も理解出来なかった事もないような気がしますよ。

 それは、一方的に勝った勝ったと叫んでいながら、時として、それが形勢不利になった時に反動として押し寄せて来る極度の絶望感、それへの恐怖感があったのではないかと思うのです。
 それを食い止めるためにこそ、万が一を考えて思考にバランスを取っておく、つまり、負けても心理的には負担をかけない、との日本的な己への配慮を保持していたのだ、と、これだったと思うのですがいかがでしょうか。

 人間誰でも、自分が思っていた通り世の中が進んで行ってこそ、勝った場合のみならず負けたとしても、心理的には安定を保つ事が出来るのだと思うのですよ。
 事実、敗戦になっても、周囲では暴動一つ起きませんでしたからね。

 つまり敗戦は、むしろ予定通りだったとの気持ちを保持してあったればこその、安定心理だったと思うのですよ。

 それだからこそ、宮城前広場に出向いて涙を流して、それで すべてを終わらせる事が出来たのではありませんか。

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