以下wikipediaより
太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直後の1941年12月に就役し、やがて連合艦隊旗艦となった。この任は司令部設備に改良が施された同型艦 武蔵が就役(1942年8月)するまで継続された。1945年4月7日、天一号作戦において米軍機動部隊の延べ1,000機以上の航空機による猛攻撃を受け(魚雷14本、大型爆弾3発、小型爆弾多数)、坊ノ岬沖で撃沈された。
当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦であった。建造期間の短縮、作業の高効率化を目指し採用されたブロック工法は大成功を納め、この大和型建造のための技術・効率的な生産管理は、戦後の日本工業の生産方式のもととなり重要な意味をなす(大和型戦艦を参照)。
艦名「大和」は、旧国名の大和国に由来する。日本の中心地として日本の代名詞ともなっている大和を冠されたことに、本艦にかかった期待の度合いが見て取れる(同様の名称として扶桑型戦艦がある)。正式な呼称は“軍艦大和”である。
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※ この戦艦大和については、戦時中の我々には全く知らされていませんでしたね。
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