2011年1月15日土曜日

山形市第七小学校

 

 

 
 山形市第7小学校 私の出身小学校。

 奉安殿(天皇から下された教育勅語を安置する特別な場所)は、職員室の校長席の背後にありました。
 通常 奉安殿となると、校舎の入り口付近に、それなりの立派な専用の建物があって、その中に安置されていたケースが大半だったと思うのですが、我が校では雪の深さが考慮されたのか職員室の内部に安置されていましたね。
 戦後はどうなったか?、別に何の手当もなく、そのまま安置されていたのではありませんか?。
 当然ながら現在は新校舎に建て替えられたので消滅したでしょうが。

 別途、講堂に付属して、小さいながら託児所が設けられていました。但し、これも私の時代は戦時中でしたから廃止されたままで、単なる物置になっていましたね。

 給食室--------と云っても現在の認識とは違って、当時の貧困児童に学校で昼食を与えるための特別の室。但し、私の時代は戦争中ともあって、これも廃止されたままで、単なる教室に衣替えされていました。
 
 屋上には敵機襲来を見張るための監視所が設置されてあり、四六始終 若い監視員が交替で任務についていましたね。

 相撲場 屋根付き四本柱の、本格的な土俵があって、折りにつけ相撲大会が開かれていましたが、私にとっては不得意な科目だけに迷惑な?建物でしたよ。

 グラウンドの端に「城北山」なる土盛りした山?があって、登山道もちゃんと作られており、これは結構面白く遊べる山でしたね。高さは5〜6メートル くらいだったでしょうが。

 理科室----------これも単独の立派な教室がありました。それに付属して「理科準備室」があり、顕微鏡やら天体望遠鏡etcの豪華な備品がズラリ揃っていました。但し、その殆どは盗難に会ってか紛失したままの状態にあったようでしたが。

 教室の机は、二人並びの、机と椅子が固定された独特の設計による合理的?な机でしたね。

 校舎内はガラスを豊富に使った明るい雰囲気の立派な校舎でしたよ。
 載せた写真で、屋上に並ぶ長方形の突起?は、すべて教室で使用するストーブの煙突です。

 ※ 記憶から描いたスケッチには、いろいろとマイナス箇所も書き込んであるのですが、読めなくて幸い?でしたね。
  そのマイナスの最大は------田圃を埋めて整地したせいか、地面が軟弱で、地盤沈下が大きく、校舎の沈下??------それは当時から問題視されていたようでした。

 ※ 載せたのは検索から お借りした現在の山形市第7小学校です。立派ですねえ〜。
   但し未だ拝見した事はナシです。

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