この戦果は大ニュース!!として報じられました。
プリンス・オブ・ウェールズ (HMS Prince of Wales) はイギリス海軍の戦艦。キング・ジョージ5世級の2番艦。35.56cm(14インチ)砲を4連装2基(前部、後部に各一基)連装1基(前部に配置)の10門装備が特徴。艦名は当時の国王ジョージ6世の兄王であるエドワード8世の即位前の称号、王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)に由来。
太平洋戦争開戦直後の1941年12月10日、日本軍の上陸を阻止するため出撃したプリンス・オブ・ウェールズは日本海軍航空機(九六式陸攻、一式陸攻)の雷撃及び爆撃により、僚艦レパルスと共にマレー沖にて沈没した(マレー沖海戦)。
第2波空襲開始早々に、推進軸付近に命中した魚雷により推進軸が捩れ曲がり、回転するタービン・シャフトの先端が隔壁を連打して破壊した。この致命的な損傷により大浸水を生じ、同時に操舵不能となり、冠水により発電機が故障したため電力も落ちて後部にある4基の13.3cm連装両用砲と舵機が使用不能になった。速力が低下し、傾斜して両用砲の運用が困難になり、舵も効かなくなった同艦は第3次空襲で相次いで魚雷を受け、回避運動も対空射撃もままならなくなった状態で水平爆撃を受け500キロ爆弾が命中、合計6本の魚雷と1発の爆弾を喫した。最終的にフィリップス中将とリーチ艦長を含む数百人が艦と運命を共にした。
マレー沖では充分な装備を持ち、万全の準備を行っていた「行動中」の戦艦が航空機の攻撃だけで撃沈された。対空砲多数を装備した新式戦艦でも、航空機の攻撃には勝てない事が明らかになった。また、戦略的にも、ほぼ無傷で最大の障害と見られた東洋艦隊主力が壊滅したことは、日本軍のこの方面における作戦展開で大きな意味があった。
この撃沈の報告を聞いた首相チャーチルは、「あの艦が!」と絶句し、「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と著書の第二次世界大戦回顧録で語っている
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