2011年1月12日水曜日

山下奉文 死刑-3

 
 
 下段 山下奉文 死刑-2 でのコレヒドール島についてですが。

 バターン死の行進(バターンしのこうしん、Martsa ng Kamatayan sa Bataan)は、第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍捕虜民間人が、収容所に移動するときに多数死亡したことを言う。
 フィリピンでは、バターン半島が陥落した4月9日を勇者の日 (Araw ng Kagitingan) として休日に定めている。
 2008年12月と2009年2月に、藤崎一郎駐米大使が、バターン行進の生存者で作る団体「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」に対して日本政府を代表し、バターン死の行進について「村山談話」に則って公式に謝罪した。また2010年9月13日には岡田克也外務大臣が元捕虜と外務省で面会し、現職の外務大臣として初めて謝罪している。

 重ねて----------
 コレヒドール島(Corregidor)はフィリピン、ルソン島マニラ湾の入り口に浮かぶ小島。
 マニラ湾口に位置し、おたまじゃくしのような形をしたコレヒドール島はマニラの西48kmの地点にある。マニラ湾の入り口という位置から、スペイン人の到来以来、わずかに南にあるカバヨ島と共にマニラを海から守る戦略上の拠点として利用されてきた。島の広さは9平方キロ。行政上はカヴィーテ市に属している。

 載せたのはコレヒドール島

 参考URL http://ja.wikipedia.org/wiki/バターン死の行進

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