私の場合は小学校(当時は 国民学校でしたが)を卒業したのが終戦の翌年3月、となると、ほぼ6年間近く 通してこの勅語を聞かされて来たと云ってよろしいでしょう。
現在は当時とは全く違った時代ですから、これ等の尊い??資料も、骨董品的な視点から眺めるのみ〜でしょうし--------となると、ホント思えば まさに 光陰矢の如しと申すほかありませんね。
そのムカシは〜。
全生徒が集まる各種の式典の最初に、校長先生が、これを お読みあそばす間は、生徒一同は 頭を下げ、直立不動で聞いていなければなりませんでした。
それはそれ、それが終わると、生徒一同 頭を持ち上げて、最初にやる事は、鼻汁をすすり上げる事、それが 一斉〜なわけですから、講堂中、大袈裟に申せば、凄いビシャビシャ音で、いつも溢れ返ったもんでしたよ〜。
この勅語は、単に紙に書かれたものなのですが、それを収納する場所となると、物凄く!立派な、単独の御殿!?の中へ納めれたもの。
その名を「奉安殿」-------- そう申されておりました〜。
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