2013年4月20日土曜日

こんな時代もあった〜


何とも申し上げようのない新聞ですなあ〜。
あの頃、この私は 国民学校の四年生の頃でしょうか〜。

これ程の大行進ではありませんでしたが、連日のように、学校で 隊伍を組んでのグランド行進をやらされていた記憶が残っていますね。

この新聞の日付では、昭和十八年十月の末頃のようですが、山形市での十月末となると結構寒かったですよ。当時ですから、碌なモノを着てませんし、加えて腹一杯のメシが喰えた時代でもないし、その分 骨身に滲みる寒さにガタガタ震えて行進してましたヨ〜。

 その当時は、学校であれサイレンは御法度、いろんな指示は担当者が持つカランカランと鳴らす鐘で行なわれていましたね。

 ただ、このような訓練であれば、それはそれで納得するわけですが、戦争末期の頃は、山形にもB29の偵察機が ちょいちょいやって来る迄に至っていたので、訓練どころか、即避難の号令が出れば、そのまま大急ぎで家に帰るように指示されただけでした〜。

 その、B-29の接近により、家に帰れとの通達では、その何度かは家迄走って行きましたが〜。
 但し、敵機が去ったあとは、本来なら学校に戻るべきものが、生徒達の あれやこれやの都合などが出て、結局 その日は そのまま家で過ごしたケースが多かったようにも記憶していますね。

 ------- ともあれ、山形市はB29の爆撃を受けない数少ない県庁所在地だった筈です---。
それだけは他県の人達には感謝の気持ちを持たねば〜と、戦争が終わったすぐ後の頃先生に結構煩く云われた記憶も残っていますので〜。

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