2010年10月21日木曜日

初めての東京空襲

  昭和十七年四月十八日、まだ戦争の緒戦の頃でしたが、突如米軍の爆撃機が十機前後、航空母艦から発進して東京空襲にやって来ました。後年のB29による爆撃とは全く違う来襲で、無防備の東京は簡単に思うが儘にやられてしまいましたね。
 まさか、それが敵機だとは知らずに手を振って迎えた都民も多かったとも聞き及んでいましたね。

 それでも、その敵機の中の、何機だったかは記憶にありませんが、こちらの高射砲等によって撃墜されたのを知っています。

 その墜落機の乗務員が捕えられて、どんな処罰を受けたか--------どうなったものやら、詳しくは知らないのですが、多分何名かは不明ですが簡単に処刑されたのではありませんか。

 ただ、捕虜に対する処刑は、いろんな条件下で、こうあるべきの国際的な取り決めがあったとも記憶していたのですが、それに沿った形で処遇されたかどうか----------多分、そんな条約にはお構い無しに簡単に死刑にて処理されたとも思うのですよ、実際はどうだったのでしょう。

 
 昭和十七年十月二十日付け読売報知新聞から。
大日本帝国領土を空襲し我が権内に入れる敵航空機搭乗員にして暴虐非道の行為ありたる者は軍律會議に付し死又は重罰を處す
 満州国又は我が作戦地域を空襲し我が権内に入りたる者亦同じ
 昭和十七年十月十九日
   防衛総司令官
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 載せたのは、その日の読売報知新聞(復刻版)からです。

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