上に載せたのは、後部に木炭を炊いて走る「木炭バス」。ガソリンが不足した戦中、戦後にかけて広く走っていましたね。載せた写真はキレイですが、実態は煤けていたのが大部分でした。
現在、このへんでは広く見られる「西武バス」の外観です。同じ西武バスでもいろいろあると思うのですが、詳しい車種となると不明です。
これらのバスにバスガールが乗っていたのは、いつ頃迄だったのか、詳しくは判りませんが、その頃での バスガールは、発車、停車、停留所、等々の各アナウンスと共に、財布状?のような大きなバッグを首に掛けて、料金徴収と同時に、ハサミ?で一枚一枚キップを切って乗客に渡していましたよ。
なお、呼称としては「バスガール」ではなくて単に「車掌さん」だったとも思いますが。
それが運転手一人だけになったのは、いつ頃からだったのか、その当時は「ワンマンカー」と特別の呼称で呼ばれていましたね。
私が小学校を卒業したのは昭和21年春、その時の同級生のうち女性の かなりの数が バスの車掌さんに就職し、バスに乗ると、よく車内でお目にかかったものでした。
なにせ、当時は義務教育は小学校でオワリでしたから、卒業後の就職先として選び易かったのだと思いますが。
----------- となると、当時の車掌さんは、14〜16歳程度の少女だったとなりますね。
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