初等科国語 5年生昭和19年度
水兵の母
【 明治二十七八年戦役の時であった。ある日、わが軍艦高千穂(たかちほ)の一水兵が、手紙を読みながら泣いていた。
ふと、通りかかったある大尉がこれを見て、余りにめめしいふるまひと思って、「こら、どうした。命が惜しくなったか。妻子がこひしくなったか。軍人となって、軍に出たのを男子の面目と思はず、そのありさまは何事だ。兵士の恥は艦の恥、艦の恥は帝国の恥だぞ。」と、ことばするどくしかった。 水兵は驚いて立ちあがり、しばらく大尉の顔を見つめていたが、「それは余りなおことばです。私には、妻も子もありません。私も、日本男子です。何で命を惜しみませう。どうぞ、これをごらんください。」といって、その手紙をさし出した。
大尉がそれを取って見ると、次のやうなことが書いてあった。「聞けば、そなたは豊島沖(ほうとうおき)の海戦にも出でず、八月十日の威海衛(いかいえい)攻撃とやらにも、かくべつの働きなかりし由、母はいかにも残念に思ひ候。何のために軍(いくさ)には出で候ぞ。一命を捨てて、君の御恩に報ゆるためには候はずや。村の方々は、朝に夕に、いろいろとやさしくお世話なしくだされ、一人の子が、御国のため軍に出でしことなれば、定めし不自由なることもあらん。何にてもえんりょなくいへと、しんせつに仰せくだされ候。母は、その方々の顔を見るごとに、そなたのふがひなきことが思ひ出されて、この胸は張りさくばかりにて候。八幡様に日参致し候も、そなたが、あっぱれなるてがらを立て候やうとの心願に候。母も人間なれば、わが子にくしとはつゆ思ひ申さず。いかばかりの思ひにて、この手紙をしたためしか、よくよくお察しくだされたく候。」
大尉は、これを読んで思はず涙を落とし、水兵の手をにぎって,「私が悪かった。おかあさんの心は、感心のほかはない。おまへの残念がるがるのも、もっともだ。しかし、今の戦争は昔と違って、一人で進んで功を立てるやうなことはできない。将校も兵士も、皆一つになって働かなければならない。すべて上官の命令を守って、自分の職務に精を出すのが第一だ。おかあさんは、一命を捨てて君恩に報いよといっていられるが、まだその折に出あはないのだ。豊島沖の海戦に出なかったことは、艦中一同残念に思っている。しかし、これも仕方がない。そのうちに、はなばなしい戦争もあるだらう。その時には、おたがひにめざましい働きをして、わが高千穂の名をあげよう。このわけをよくおかあさんにいってあげて、安心なさるようにするがよい。」といひ聞かせた。水兵は、頭を下げて聞いていたが、やがて手をあげて敬礼し、にっこりと笑って立ち去った。】
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この話は、明治27年28年、日清戦争の時のものです。
江戸時代、大半の庶民は、天皇の名前も存在も碌に知りませんでした。
それが明治になってからは、帝国主義に基づく教育制度により急ピッチで天皇制の認識は深まり、それにつれて[君(天皇)のために命を投げ出す」若者が続々出て来るようになってきました。
その典型とされるハナシが上記の「水兵の母」です。話の内容としては むしろ新興宗教などに共通するといってよいでしょう。
この種のハナシを素直に受け取る民族的な下地が日本人には昔から備わっているのかも知れません。(それにしても小学5年生の国語としては考えられない程の難しい言葉遣いで出来ています。)
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以下の文面は、同じ内容で このwebの中に何箇所か書き込んである筈です。 申し訳ありません。サイトがこれだけ大量になってくると自分でも分らなくなってしまうのです。重ねてお目にかかった場合はよろしくご対処下さい。
この教科書で教育を受けた当時の子供はどのような人生観を持って成長したのだろうか。
百姓のセガレとして育った知り合いの古老に尋ねた事がありました。
「軍隊に入るのは何といっても嬉しい事でした。その理由は、まず、タンボの仕事から解放される事。タンボの仕事そのものが苦しいからという事ではありません。もっと別の理由、例えば、天候によっていろいろと対応策を考えたり、庄屋さんに出す年貢の事を考えたり、貧乏に明け暮れする生活に嫌気がさしたり、家族への配慮をどうするか、村の連中とどうやってうまくやっていくか・・・etc。それらに対する気苦労が毎日毎日大変な重荷になっていたのです。
それが、軍隊に行けば、とにかく何も考えずに唯上官の命令に服していれば済むのでこれ程楽な事はないし、体力にも自信があったので、訓練なども全く気にならずにやれたし、それに加えてメシが腹一杯に食えるので何程嬉しかったことか、軍隊生活はまさに極楽の世界でした。
ただ、軍隊生活もいつか除隊になって再び百姓生活に戻るのだとなれば、いっその事この儘天皇陛下のために命を投げ出して、家には「名誉」と「功労金」を残せばその方が良いのではないか、と何度となく考えたものでした。
出来たら国民みんなが兵隊になって国を護るようになれば、その方がずっと良くなります。「国民皆兵」となったら子供や年寄りなどみんなが腹一杯メシを食えるようになる筈です。その方がずっとマシです。」
軍隊生活は地獄であって、天皇の名のもとに戦争で死ぬなんて真っ平だ、と、これが国民一般の普通の気持ちだったと思うのですが、日本国民すべてがそうだったかと云えば決してそうではありませんでした。天皇陛下のために喜んで命を投げ出そうとしていた国民も相当数いた事も又事実なのです。古老の考え方は教科書通りの忠誠心とは違っていても、その延長線上の考え方として許されていた範囲の気持ちであったと思われます。少なくともそのような発言を許す土台として教科書は立派な役割を果たしていたと云ってよいのです。
岩に向かって砕け散る波しぶきの豪快な光景があって、そのそばに爛漫に咲き匂う桜の樹が立ち、彼方には霊峰富士の山が聳える、そんな写真が新聞に載るようになると、何故か、日本国民は思考を停止してしまって、理由がないまま死に突っ走るのだ、と評した外人がいました。情景は違っても、バンザイ突撃(玉砕)などが可能になるのもその一つの表れだと云います。特に桜の木は日本人の気持ちの深層に常に死をイメ-ジさせているとか、云われてみれば、確かに、桜の木は人間の血を吸って育つのだとか、各地によくある血染めの桜の例とか、切腹は大抵桜の木の下でやられるとか、仇討ちも桜の周りが多いとか、そうなると花の散り際の鮮やかさは死を覚悟した者に決断を促す役目を果たすのも理解出来るし、そのせいもあるのか、桜の木を豊富に植えてあるお寺は縁起が悪いという事で余り見かけたことはないし、確かにそんな桜の姿が大量に世の中に現れてくるとなると気味が悪いという理屈も頷けます。日本の国の花は「桜」でなくて「菊」の花だという理由も分かります。
さても現在、未曾有の不況の時代にあって、この儘の状況が長く続くようになると、なにやら妙な風が吹いてきて、これ又、妙な展開になり思いもかけなかった状況が現れてくるのではないかと危惧します。教科書も桜の木も、思考を停止した古老の生きザマにも、何か共通した洗脳のニオイがありました。
解決は一つ、各個人が思考を停止させてはダメだという事。これがここでの結論だという事です。
「水兵の母」はいかにも小さな項目なので、ネットで検索しても出てくる筈はないと思ったのですがゼロではありませんでした。
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「高千穂」のその後
高千穂は第一次大戦の勃発にともない、中国山東省青島のドイツ海軍根拠地を封鎖中、ドイツ水雷艇の雷撃を被って被雷沈没した。
264名が戦死したが、これは第一次大戦中の日本軍戦死者のほとんどを占める。(高千穂は英国製とありました。)
※ 挿絵は教科書に載った写真です。
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