その当時の徳川が怖れたのは西国諸国の動向や反乱もさる事ながら、得体の知れぬ東北地方(蝦夷)だったとか。そのために江戸城の鬼門に当たる北東の地(上野)に東照宮を建て、家康を祀ったとあります。家康の威光をもって外敵を威嚇したのでしょう。
更に加えて、はるか北東の地 日光にも壮大な伽藍を建立し同じ役目を課したとも考えられます。
江戸城---上野の東照宮----日光の東照宮、これらが鬼門方向一直線上に建てられているのが驚きでした。
十二支にこだわる日本人の性質がよく分かりますね。
(蛇足ながら--- 今でも普通の住宅では鬼門方角に玄関を作ると不吉な鬼が入って来るとの言い習わしがあって 避けている場合が多いとか。)
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