ガダルカナルの詩
ガダルカナルでの戦闘は文字どおりの地獄の闘いでした。半年近く続いた闘いは昭和18年2月日本軍の全面撤退で幕を閉じました。但し、まだ戦争中期の頃だったので、新聞切り抜きはありません。
ガダルカナルの壮絶な闘いについて記憶に残るのは、その闘いを詠った詩を先生が黒板に書いて私共生徒に書き写させた時のことです。その時のノートが残っているので載せてみました。書き写したのは闘いから2年余り後、戦争も終わりに近い頃、六年生の時でした。
書き写した当時の事は些細な箇所に至るまで今でも全部覚えています。
粥
ここにして これありこれぞ この米のかゆ
はろばろと数千里よよあし原みづほの国のみたからだひととせを汗にまみれて磨き上げたる 真珠宝石わだつみの逆巻く潮をのりきりていのちに代へて海軍さんの護り来し神のたまもの
敵機の下をころびて雨なすたまの中はひつ汲みたる水を 飯盒にいれ爆撃ごとに火を消して去りては又焚きつけつとめて煙出さぬごとくねじり鉢巻して焚き上げたるこの味は二つなし
いささかの塩っぱい海水にとぎしたの(1字不明)も(わが涙までまじりしならじ)いざ喰らへわが戦友(とも)よ喰はで死にしわが戦友(とも)よ これぞこの米の粥ぞ 吉田 嘉七
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われは信ず
一、ジヤングルに深くこもれば雨は夜々肌へを洗ひ壕内に日々を送りて敵弾を常に浴びつついつの日に友軍機飛び糧来るや われらは知らずされどただわれらは信ずわれらは勝つと
二、幾日ぞ弾丸(たま)を撃たざる幾日ぞ米を喰はざる屋根なせる「星」の翼
(「星」とはこの場合「星条旗」を指す) ジャングルに木のかげは失せ嵐なす敵の弾丸につぎつぎに友はたふれぬされどなおわれらは信ずわれらは勝つと
三、みかへればやせさらばえて 肉そげし ほほよ 腕(かひな)よよし弾丸は免れ得とも 長くよし 生きてあるまじ友軍機いまだ飛ばざる 糧秣(りょうまつ)も遂に来らずしかも尚われらは信ず 御国は勝つと 吉田 嘉七
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