リーダーの音頭のもと、店内の客が一緒に歌を歌うことを主目的としている。伴奏はピアノやアコーディオンのほか、大きな店では生バンドも入っていた。歌われる歌はロシア民謡、唱歌、童謡、労働歌、反戦歌、歌謡曲など。店が独自に編纂した歌集を見ながら歌うこともできる。
1950年(昭和25年)ごろ、新宿の料理店が店内でロシア民謡を流していたところ、自然発生的に客が一緒に歌い出して盛り上がり、それが歌声喫茶の走りになったといわれる。また、当時公開されたソ連映画「シベリア物語」に同様なシーンがあり、これに影響されたともいわれている。[1]
1955年(昭和30年)、新宿に「カチューシャ」、「灯(ともしび)」がオープン。これをきっかけに東京都内に歌声喫茶が続々と誕生する。労働運動、学生運動の高まりとともに人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し、店内は毎日のように人であふれ、最盛期には全国で100軒を超える店があったという。また店の看板的存在であるリーダーの中からは、さとう宗幸や上条恒彦のようにプロの歌手としてデビューした者もいた。
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ありましたねえ〜、私も随分と出向いて蛮声?を張り上げて歌ってましたよ。
ただ、さすが時代のせいで、現在は、その姿は全く見られません。
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