2010年6月20日日曜日

戦争写真から


米軍の爆撃機に搭載する爆弾の運搬光景です。ブーゲンビル島の戦闘で、とあります。
別に何でもない光景ですが、考えてみれば、日本軍の場合は人馬を動員しての運搬となったでしょうね。
図のような補助的な作業用の器材が万遍なく開発されていたとは到底考えられませんね。

 “ この重さ何するものぞ!精神一到すれば、石に立つ矢(いしにたつや)の例えあり!”(一心をこめて事を行なえば、不可能なことはないということのたとえ)----------これだったでしょう。
 但し、このような精神主義に委ねるのは 時と場合による------それを承知ではあったにせよ、あらゆる場面で忘れるほかなかったのでしょうよ。
 結局は、敵の物量と、日本の精神主義 との差が その後の戦闘を左右したポイントとにもなったと思いますよ。
 大体、モノが無いのに、それに対抗すべく馬匹と大和魂に委託したところで、その馬匹の調達もままならず、結局は、出来ないモノは出来ません と手を上げる外なかったのでしょうなアーーー。

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