2010年6月19日土曜日

奉安殿



御真影の下賜が始まった時期は、教育勅語が制定された後の1910年代であり、奉安殿の成立もその時期と推測される(小学校の奉安殿建築は1935年頃に活発化)。また学校への宿直も、この御真影の保護を目的として始められた面もある。

四大節祝賀式典の際には、職員生徒全員で御真影に対しての最敬礼と教育勅語の奉読が求められた。また、登下校時や単に前を通過する際にも、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていた。

当初は講堂や職員室・校長室内部に奉安所が設けられていた。しかしこの奉安所の場合、校舎火災や地震などによる校舎倒壊の際などに御真影が危険に晒される可能性が高く、また実際に関東大震災空襲、校舎火災の際に御真影を守ろうとして殉職した校長の美談がいくつか伝えられている。このため、さらに万全を期すために、校舎内部の奉安所は金庫型へ改められ、また独立した「奉安殿」の建築が進められていった。前者の校舎一体型は旧制中学などに多く、後者の独立建築型は小学校に多く見られた。

   wikipediaより

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 戦時中を過ごした私の小学校の 奉安殿 は職員室の中、校長先生の席の後ろにセットされてありました。

 現在考えてみるに、その神がかりな装置は “ 噴飯もの ” それだけですね。

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