本人曰く、ハイスクール時代、大学時代に複数の非標準語地域で過ごした為、「標準語でも方言でもかかってこい」と言わんばかりに日本語に対する大きな自信を持っていたという。しかしその自信も山形弁との出会いで打ち砕かれる事になる。
ダニエルは地方生活が多かったので文部省就職時には標準語圏の職場を希望していたがその意に反して赴任先は運命の地、東北地方は山形県だった。だが、それが現在の山形弁を話す外国人としての地位を確立する礎となった。初めて山形の地を踏んだ時は現地の老人の会話内容が全く分からず、「間違えて電車を乗り過ごし、外国に来てしまったのではないか?」と本気で思ったとの事。しかしながら看板には「やまがた」と平仮名で書いてあり、「日本に地続きの隣国もなければ平仮名を使う国は日本以外にないからここは日本だろう。」と思い直したそうである。しかし、「話している言葉が日本語だとは思えない」と非常に混乱したという。特に〝ん〟から始まる日本語は存在しないと幾度も教わってきたので、現地人たちは何かにつけて〝んだ!〟、〝んだー!〟を繰り返し言っている事が余計に混乱の元となった。[2]しかし逆にそのカルチャーショックがダニエルの好奇心をくすぐり、山形弁に熱中させる事となる。
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おられましたね。ヘンな外人が----------- 但し、この外人さんは山形のズウズウ弁を喋るので、当然ながら存分の親しみを感じていました。
---------------- 現在はどうされているのだろうか?。
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