この分では、敵は 間もなく日本 本土に攻め込んで来るに違いない。
そうなった時はどうするか〜どうなるか、加えて、山形に来るのはいつの頃になるのか、等々、結構 苦しい手前勝手な考えをしていたと思うのですよ。
当時の私は何度か申していると思うのですが、国民学校( 現・小学校 )6年生でした。
6年生となると、世界の情勢は ほぼ 理解出来る年齢ですよ。
然しながら、戦況が不利になって負けたとして、その「負ける」と、どうなるのか、そのあたりは余計 モヤモヤとしてましたね。
理解出来た範囲としては、負ければ 奴隷になる、これ一点に懸かっていたような そんな記憶もあったと思うのですが、日本が負ける以前に、イタリア、ドイツ、と負けてしまったので、果たして彼等は奴隷になったかどうか------はっきりしませんでしたね。
ただ、これも、ドイツ、イタリアは、鬼畜米英と同じ白人なので、まあ〜親戚同士みたいなもの、奴隷にならない理由があったとすれば理解の範囲、日本と違って当然だ、と、そんな理解の仕方もしていたようで〜。
日本人はとにかく黄色人種、従って奴隷になる!〜-------と、これが まあ〜イヤな結論でしたなア〜。
ただ、思うに、これは小学生の私の考えでしたが、大人達はどうかと云えば、勿論 子供と同じレベルでは考えないとも思うし、又、その時の環境にもよる、とは分かっても、結構 私と同じ様な結論の保持者?も潜在的にも 多数いたと云いたいところですが、まあ〜当時の大人は大人で、モノがあったら、一円でも高く都会人に売りつけて儲ければそれでよい、と、その程度のリクツで対処しようと思っていた時代だったのではありませんでしたかナ〜------そして、その流れは戦中から、そのまま戦後へと続いていったとも思える次第ですが。
それが証拠とは云えないでしょうが、とにかく敗戦となっても、翌日から倍増して働きを続けて 懐を肥やした いろんな階層の日本人も、結構 大勢いたとのハナシも聞いたようでしたので-----。
敗戦を知って ワッと泣き崩れた御仁の員数と終戦と同時に もそもそ と働き始めた御仁、その比率を知りたいところですが、ワッと泣き崩れた御仁が もそもそ と動き始めてヤミ商売で蔵を建てた御仁であったりして、正確には不明でしょうね。
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