2011年5月2日月曜日

浄土ヶ浜

 
 浄土ヶ浜
 約5200万年前の古第三紀(地質時代上、白亜紀の次に位置する)に形成された火山岩からなる白い岩塊と同色の小石によって、外海と隔てられた波穏やかで清明な入り江が形成される。また岩上には、岩手県の「県の木」であるナンブアカマツをはじめとする常緑樹の群生が見られ、これらによってあたかも日本庭園のような美しい景観が醸し出されている。
 また、入り江を形成する岩塊の裏側(外海側)には、太平洋の荒波の浸食を受けた、入り江側とは対照的な男性的ともいうべき景観が見られ、これらは、「剣の山(針の山とも)」「賽の河原」「血の池」等、同じ東北地方に位置する恐山の地名呼称と共通する名称で呼ばれている。
 海岸名の由来は、天和年間(1681年 - 1684年)に、曹洞宗に属する宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたとする説が、同海岸周辺を遊覧する観光船の案内放送等によって一般に広く知られている[1]。
 入り江を利用した海水浴場は「日本の水浴場88選」に選定されているほか、かおり風景100選、日本の渚百選、日本の白砂青松100選にも指定されている。
 浄土ヶ浜を含む臼木山は、1908年に国有林から鍬ヶ崎町有林になり、その後の合併により現在は市の所有になっている。
 宮沢賢治は1917年7月にここに訪れ、「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という歌をよんでいる。

(じょうどがはま)は、岩手県宮古市にある海岸。陸中海岸国立公園に属し、三陸を代表する景勝地である。

 以上 wikipediaより

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 この地は、これ迄に訪ねた景勝の地としては ナンバー1 の地位を占めるダントツの名所でした。
 問題は、上記説明文とは別に、何故このような地形が生まれたのか、それはそれなりの参考書等も探して かなり調べてはみたものの、結局分かりませんでしたね。
 とにかく、このような姿形の場所が、日本国中、ここ一カ所である----------これが最後迄理解出来ませんでした。日本には、いくら存在しても不思議ではない、と、それが先入観として有りましたからね。

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