2010年8月20日金曜日

山形城趾 付近

 昔の我が家の近くからで、私が中学の頃に描いたペン画です。
 左の一見 複線状の線路は複線ではなく、左側が奥羽本線、右が支線の左澤線(あてらざわせん)です。
 遠くに見える鉄道信号が、当時は まだまだ腕木式の信号でしたね。
 濠は山形城趾の濠。
 その土手の上に見える杉の大木には、よく雷が落ちたもの。
 そんな事もあってか、現在は一本も見られませんね(下の写真)。
 検索から お借りした同じような視点(正確には、違っていますが)からの現在の写真。
 濠の水は、時に応じて水量を調節しているのかどうか、常に一定のようです。
 土手の下草の大部分は、昔は、刈り取ったりすると顔が腫れ上がる 漆(うるし)でした。防御の意味があってこその植種だったのでしょうが、現在の土手は、手入れの行き届いたホントの?下草だけでキレイですね。

 山形のシンボルだった山形城も部分的に再現されているようで、昔は無かった復元された城の一部が見られます。

 この写真からは見られませんが、鉄道線路の信号も、さすが現在は腕木信号ではなくライト式の通常の信号機でした。

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