2010年8月29日日曜日

「姿なき入城」


   姿なき入城

  いとし子よ、
  ラングーンは落ちたり。
  いざ、汝も
  勇ましく入城せよ、
  姿なく、
  聲なき汝なれども。
  昭和十六年十二月、
  ラングーン第一回の爆撃に、
  汝は、別動隊編隊(へんたい)機長として、
  近郊ミンガラドン飛行場にせまり、
  敵スピットファイヤー二十數機と、
  空中戰はなばなしく、
  陸鷲(りくわし)は、その十六機をほふれり。
  更にラングーンの上空に現れ、
  巨彈(きよだん)を投じたる一瞬(いつしゆん)、
  敵高射砲彈は、
  汝が愛機の胴體を貫ぬきつ。

  機は、たちまちほのほを吐き、
  翼は、空中分解を始めぬ。
  汝、につこりとして天蓋(てんがい)を押し開き、
  二王立ちとなつて僚機に別れを告げ、
 「天皇陛下萬歳。」を奉唱、
  若き血潮に、
  大空の積亂雲をいろどりぬ。

  それより七十六日
  汝は、母の心に生きて、
  今日の入城を待てり。
  今し、母は齋壇(さいだん)をしつらへ、
  日の丸の小旗二もとをかかげつ。
  一もとは、すでになき汝の部隊長機へ、
  一もとは、汝の愛機へ。
  いざ、親鷲を先頭に、
  続け、若鷲。
  ラングーンに花と散りにし汝に、
  見せばやと思ふ今日の御旗ぞ。

  いとし子よ、
  汝、ますらをなれば、
  大君の御楯(みたて)と起ちて、
  たくましく、
  ををしく生きぬ。
  いざ、今日よりは
  母のふところに歸りて、
  安らかに眠れ、
  幼かりし時
  わが乳房(ちぶさ)にすがりて、
  すやすやと眠りしごとく。
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 この詩文は、当時 我々の教科書に載っていたので覚えています。

 以下検索から。
 ビルマの戦い(ビルマのたたかい, Burma Campaign)は、太平洋戦争(大東亜戦争)の局面の1つ。イギリス領ビルマとその周辺地域をめぐって、日本軍・ビルマ国民軍・インド国民軍と、イギリス軍・アメリカ軍・中華民国国軍とが戦った。戦いは1941年の開戦直後から始まり、1945年の終戦直前まで続いた。以上 検索から。

 ※ 結局のところ、ビルマは最後まで占領出来ず、従って、ここでの「姿なき入場」も形だけで終わったのでしょう。 

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